福山で、整体・産後骨盤矯正・猫背・腰痛・肩こり・自律神経失調が得意な整骨院です

院長紹介

院長紹介

院長

八木隆史

1971年9月21日生まれ、A型 おとめ座
福山生まれの福山育ち

地元 福山出身
中学 柔道 
高校 ボクシング
慢性の腰痛持ち

<資格>

 柔道整復師
 整体師 
 日本スポーツ整復療法学会 会員
 トータル臨床研究会 会員
 日本自律神経研究会 会員
 鎮痛療法指導師
 
 

<自己紹介>

整体との出会いは、中学校1年生にまでさかのぼります。
部活でのケガから腰痛となり、良いと聞いた病院・治療院・整体など、あちこちに行ってみたものの・・・改善されず・・・結局、部活も辞めて帰宅部となりました。
両親には、時間もお金もイッパイ使わせましたね・・・(^^;

その後、高校へ入学しラグビー部に入るものの、やはり腰痛がひどく、3か月であえなく退部。
その1年後、やっぱり何かをしたくて選んだのがボクシング。またダメかなぁと思いつつ始めたら、これは何故か出来るんです!

時々痛くなるものの、ひどい激痛にはならずボクシングを高校卒業まで続け、その後スポーツは「楽しむもの」として、色々かじっています。
最近は、忙しくて出来てないんですけどね。(^^)

高校を卒業後家業である自動車板金塗装の修行のため大阪へ。
この時期が、今までの人生で一番貧乏でした・・・(^^;

当時はまだバブルの余波が残っていて、給料は安くても高卒で総支給15~17万くらいの時代でしたが、私の給料は5万円・・・
家賃と光熱費を払えば、ご飯もまともに食べられない生活。
友達は、自分の車を買って乗り回してる・・・車の仕事をしてるとはいえ、自分の車がない・・・やっぱり車が欲しい!!!

その一心で、食事は先輩がおごってくれる時、社長の営業に着いていった時だけ!会社の弁当も取らない!飲むのは水道水のみ!
自分で食べる事はせずに、誰かに食べさせてもらおうと決意!(^^;
でも、良くあっても月に1日か2日・・・毎日ってわけにはいかないですもんね・・・ほんとにいつも空腹でした。

そしてついにアパートを放棄し、みんなが帰った後こっそり会社へ帰ってきて事務所で寝泊り。
これも毎日って訳にはいかないので、通勤で使わせてもらっていた会社の軽トラで、近所の公園の駐車場に寝泊り、風呂は真冬でも会社の水道水を浴びる・・・まさに修行のような生活でした・・・(^^;
事務所と車中の修行のような暮らしを続け、そんなこんなで、1年で無理やり30万円を貯めて、20万円の車を買いました!

その後、車の維持費やら保険料やらガソリン代で更に貧乏生活を強いられ・・・とうとう栄養失調で病院行きになるわ、勝手にアパートを引き払って住所不定で会社に住んでるのがバレるわ、その他にも色々と迷惑をかけ・・・

今思えば、社長や会社にとっては最悪の社員かも。自分が社長だと、自分みたいな社員は、雇いたくないのぅ!って思います・・・(^^;
でも、みんなコテコテの関西人のノリで、「おもろいから許す」と、まぁほんとに可愛がってもらいました。

で、この時期に出会ったのが、いまの妻なんですけどね~!
その後、3年の修行期間を終えて福山に帰ってきました。

福山に帰って来てからというもの、休む間もなく仕事しました。

実家の人達は、みなさん私より年上ばかりで20年以上の職人さんもいました。父親がバリバリの職人で、同業では超有名人。昔ながらの職人気質で実力主義の少数精鋭の会社のため、「社長の息子」という肩書きは一切関係なく、新人社員として下積みから始めました。周りからは、「息子なのになんで?」とか色々言われた事もありますが、私自身は全くその立場に不満はなく、「認めさせてやる!」と、逆にやる気が出ていました。

不満と言えば、会社の雰囲気が悪かったこと・・・やはり職人さん達は、自分の仕事に没頭しがちで、コミュニケーションが上手くいっていない。みんながピリピリしてるんですよね。悪いことじゃ無いのですが、誰かが話すまで誰も話さない。沈黙の時間が流れ続けるんです・・・(^^; 職人さんや先輩方に勝てるのは、若さと勢いだけ!!!ここは一発、「オレが雰囲気を変えてやる!」と、お酒を飲みに誘いまくりました!(^^)

仕事も出来ない坊主が・・・となったらダメなので、人一倍動きまわり、終わったら毎日のように飲みに誘う!!!徐々に皆さん、誘いにのってくれるようになり、仕事終わりに全員で飲みに行く機会も増えてきました。もともと余計な話をしない人達だったので、飲み会でも仕事の話ばかり。

そのおかげで、仕事中のコミュニケーションが出来るようになり、協力する意識が出来ました。どうしても、個人の技術や能力比べになるところを、1台の車を全員の技術で仕上げるという意識が出来たおかげで、仕事の効率も以前より上がり、毎月のように最高売上を更新したのを覚えています。

大阪での修業時代、帰ってからの下積み時代の20代前半に、周りが職人さんだらけで厳しい環境だったのと、人が10年かかるなら、オレは5年で出来るようになる!という意識でやってきたので、技術や仕事に対しての基礎となる意識を沢山叩き込まれ、職は違いますが今の自分にも大きく役立っています。

人生の転機になったのは30歳のときでした。

なんか調子悪いなぁという日が続いていたある日、急にゼェ~ゼェ~と息苦しくなり病院へ行ったところ喘息と言われました。
家業の自動車板金塗装の中でも塗装をメインとしていたので、小児喘息もあったし喫煙者だし、有機溶剤や粉塵でヤラれたのかと思っていました。

ところが、一向に治まる気配もなく、症状はさらに悪化していき、呼吸困難で夜中に救急で担ぎ込まれた事も。
あまりにもしんどいわ、薬は効かないわ、医者はまともに話を聞いてる風ではないわ・・・
その当時は、新しく第2工場も稼働させて社員の人数も増え、専務という立場にもなっていましたから、ちょうど頑張り時だったんですよね。一向に良くならず、まともに仕事が出来ない状況に焦っていましたから、医者に文句ばかり言っていましたね。

で、とうとう違う病院を紹介されました。
そこで紹介された病院は・・・なぜか精神科・・・

なんで?と思ったのですが、まぁ医者が言うのだから・・・と行ったのが運のつきで・・・5~6分ほど問診され、テストみたいな物をやらされ、付いた診断がうつ病。
はぁ????って感じでしたね。
いま思えば、そのテストみたいなものは、こんなにしんどいんだから、イッパイ当てはまって当たり前じゃろ!って思うものでした。

そこから坂を転げ落ちるように、更に体調は悪くなりました。いまのような知識もなく、医者が出す薬を飲んいでれば良くなるんだと思っていましたから、言われるまま出されるままに薬と点滴を繰り返し・・・毎日20錠の薬を飲んでて、完全な薬漬けになってしまいました。

1年半もの間、仕事もできず薬漬けの生活で、ベットからさえ起きれない日々も続き、こんな状態では家業を継いでも、現場も出来ない、社員の生活を守っていく大事な仕事なんか当然出来ないと思い、一大決心で仕事を辞めました。いつまでも、ズルズルと引きずっていく訳にはいかず、会社としての体制を整えないといけませんからね。自分の存在は、その足枷になると思いました。

しかし、その当時は妻と子供3人を抱えていましたので、寝てるだけで生活できるわけもなく、とりあえず何でも良いから仕事を・・・と、体を引きずりながら面接に回りました。家業を辞めた手前、車関係の仕事には就く気はなく、まったく別の仕事をと思っていたのですが、世の中は不景気で30歳を超えた私には、なかなかの辛い風当たりで・・・そんな中、やっと就職できた会社で、これまた転機が訪れました。

新人研修として、さいたま県へ2週間行くことになったんです。とうぜん薬も持って行く予定だったのですが、その大切な薬を忘れたんです。もう、生き地獄ってこの事だと思いました!薬の禁断症状だったんでしょうね。妻に薬を送ってもらいましたが、すぐに届くわけでもなく。薬なしの生活に、不安や恐怖、なんとも言えない衝動が、次から次へと襲ってくるんです。そして体も思うように動かない・・・でも、研修を休んでしまえば、クビになるかもしれない。やっと就職出来た会社を辞める事は出来ない、ましてや仕事しないと妻と子供を養っていけない、自分の中で色んな葛藤が渦巻いていました。

朝起きれず、研修に行けなくなるのが怖くて、研修から帰ったホテルの部屋では、一晩中電気とテレビをつけ寝ませんでした。朝、研修会場に行く電車を見ると、苦しさから逃れたく飛び込みたい衝動も起こりました。
その一方で、そんな事を考えるな!と、戒める自分もいました。心身ともにボロボロ状態・・・でも、何かが進んでる気がしました。薬が3日後に届いたのですが、飛びつきたい気持ちを必死で抑え、これを飲んだら逆戻りしそうな気がして、捨ててしまいました。意地でも薬は飲まない、研修は休まない、死なないと決め、なんとか研修の1週間目を終えました。

やっと明日は休みという夜、死んだように寝ました。目が覚めたら、なんと連続30時間以上の睡眠!携帯電話も鳴っていたのですが、それにも気付かず爆睡してたんですね。もともと薬漬けの状態で、睡眠薬を飲んでも寝れなかったのですが、さすがに1週間も、ほぼ一睡もしなければ眠れましたね!(^^)

驚いたことに、その次の日からは、なぜかスッキリ!!!
禁断症状のようなモノも軽く、不安や恐怖もなく、自殺衝動もなく、薬が抜けて全部リセットできた感じでした。
その日以降、みるみる回復していき、その後はまったく症状も出ず以前の自分に戻りました!

お会いした事がある人はわかると思うのですが、一般的にうつ病になるようなタイプでも無いそうで・・・自分でも、そう思います。(^^)
じゃあ何故なったのか?って答えが、ちょうど10年後にわかったんですけどね!それはまたの機会にでも。(^^)

その後いろいろ有り、その会社を辞めました。
特別やりたい仕事も見つからず、とりあえず家族を養うために色々な仕事を転々としていたとき、トラック運転手をしていた時期があります。

仕事中に荷台から落ちてきた荷物で、首と古傷の腰を痛めました。その時に整体に飛び込んだ事が、後にこの仕事をするキッカケになり、この仕事の師匠との出会いとなりました。

しかし、最初は迷いました。すぐに仕事として出来るようなものでは無い事もわかりますし、その間は稼ぎも少なくなる。家族を養うには、とても足りない状況になりますから。ただ、もともと手仕事の技術職が好きな事と、それまでに色んな治療院を巡っていた事もあり、金銭面以外の事には抵抗がありませんでした。
その抵抗を打ち破ったのは
「お父さん、なんか向いてそう。やったら?」って、妻の一言。
この一言が、またまた人生の転機になりました!(^^)

そんなこんなで新しい人生が始まった訳ですが、家業の自動車板金塗装から始まり、色々な職種や経験を積ませていただきましたが、何ひとつ無駄になるどころか、逆に役立つ事ばかりです。
今では、「ここに来るために、今までの事があったんだなぁ」と感じています。

開業して7年目に入りました。
以前は、本当にわかりにくい場所なうえに入りずらい2階でした。
しかも、看板はほとんど見えない、電話帳以外の広告はした事がないので、ご紹介以外では、まず来ない場所。
よくこんな所で成り立ってるな・・・と、しょっちゅう言われました・・・(^^;
お蔭様で、昨年7月に1階の店舗に移転し、ちょっとだけ目立つようになり、以前から患者さんに
「今の時代、ホームページが無いのは怪しいよ~!」
「紹介したいんだけど、どんな所って聞かれて困るのよ。ホームページがあるから見てみてって、言えたら簡単なのに」
「困ってる人が沢山いるんだから、もっとアピールしたら?」
などなど・・・
患者さんからお尻を叩かれ、移転を機会にホームページを作りました。(^^;

このホームページがキッカケで、私とのご縁でき、あなたのお役に立て、あなたの未来に良い変化が起きれば幸いです。(*^_^*)

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